あれから30年 part-2

今月は私にとって税理士事務所を開業して、ちょうど30周年となる。
それがどうしたと言われればそれまでだが、私のような飽きっぽい人間がよくもまあ、こんな面倒くさい仕事を30年もやってきたものだと呆れる。
感慨深いとか、自分で自分を褒めてやりたいとか、そういう気分ではない。

税理士として開業する以前の私は勤務先の上司と喧嘩ばかりしていた。
その都度、辞表をたたきつけ、10回以上も転職を繰り返した。
転職するたびに勤務先のレベルは落ち、給料も落ちて貧乏になった。
欲求不満で私はいつもイライラしていた。

一人暮らしの安アパートに帰っても電気代未納で電気がつかない。
破れ窓から雨が降り込み、湿ったタタミからキノコが生えてきた。
やけくそでそのキノコをインスタントラーメンに放り込み食っちまったよ。
この時期、私は人生の敗残者の気分だった。
「このまま終わってたまるかっ!」
「お〜し、独立してこましたろ。トコトンいてこましたろ」
と本屋に飛び込み、どういう資格を取ると独立できるか金がなくても独立して食っていける資格は何だろうと探した。
その当時、税理士ならそろばん(古いなぁ)と電話さえあれば開業できると書いてあった。
「独立できるなら何でもええわ」ちゅうわけで税理士受験の勉強を始めた。
しかし、勉強しながら思ったのだが、じつにつまらん勉強だった。
特に簿記と会計学は退屈で仕方がなかった。
「こんなもん勉強したって糞の役にもたたんわっ!」とバカにしていたが、独立して金儲けできるようになれば面白くなるやろ、と思い、砂を噛むような思いでいやいや勉強した。
結論は金儲けに関係なく嫌いなものに手を出したらアカンちゅうこっちゃ。
表面上、仕事は順調に増えていったが、開業して2年も経たないうちに経理や会計の仕事を引き受けるのはやめた。
疲れたのだ。

私は両親が早死にした(オヤジが47歳、おふくろが38歳で亡くなった)ので自分は40代前半で死ぬと決めてかかっていた。

短い人生、気に食わない仕事はやるまい、マイホームも持つまい。
金儲けにうつつを抜かすまい。
行き当たりばったり、出たとこ勝負、破れかぶれ、その場しのぎ、成り行き任せ、無計画、ケセラセラ、を基本コンセプトに生きていこうと決めていた。
だから資産運用にはまったく感心がない。
資産と言えば私は普通預金しか知らない。
預金通帳も人任せなので見ない。

こんな私が資産をお持ちの方の相談に乗っているのだから世の中は分からない。

経理、会計の仕事をため息をつきながらやっているとき、たまたま相続税の申告の仕事が舞い込んできた。
それは私にとって運命の出会い、生まれて初めての相続税の申告の仕事だった。
面白くて完全にハマった。
徹夜してもまったく疲れない。
死んだ人間の財産を数えてどこが面白いのだ、と言われそうだが何度やっても飽きないのだ。
「お〜し、決まった!これで行こう」と思った。
相続税一本で食っていこうと決めた。

しかし、この決断はハッキリ言って、うかつだった。
いまでこそ皆さんのおかげで仕事は順調に入ってくるようになったが、その当時は相続税の申告の仕事なんてそう簡単に入って来なかった。
それからが大変だった。
仕事がなくて借金が増えるばかり。
よく我慢できたと思うよ。
それでも、うちのカミさんの貧乏に動じないほんわかムードに助けらた。
しっかり稼がんかいっ!と尻を叩くようなタイプのカミさんだったら私は40代前半で死んでいた。