あれから30年

何を隠そう私とカミさんの30周年の結婚記念日は5月1日だった。
独立と開業が同時だったので自分にとっては大事な日。
だからよく覚えている。
世の中には結婚記念日を忘れて嫁さんからひんしゅくを買う男がいるが、私は結婚記念日を一日たりとも忘れたことがない。
しかし、一度も祝ったことがない。
心の中ではいつも感謝はしているが態度で示せないのがワシら中高年なのだ。
すまん。
それにいつもはこの時期、断食道場に籠ってるし……。

私は一人暮らしが長かったし転職を繰り返していたので、とても寂しくとても貧乏だった。
結婚と独立開業のとき私は無一文だった。
しばらくの間、うちのカミさんの失業保険で食いつないでいたから今でも頭が上がらない。

結婚して家に帰ると電気が灯って夕飯が準備してあることが夢のようだった。
間もなく子供が生まれた。
親に似てとても可愛い息子だった。
「子供は三歳までに一生分の親孝行をする」というがそれは本当だと思った。

仕事はそこそこにして息子と遊ぶのが楽しかった。
独立開業した当時はバブル絶頂期へ突き進んでおり、上昇気流に乗りさえすればお金はかなり稼げたと思うが、仕事で頑張ろうとは思わなかった。
仕事より家庭だと思った。
今から思えばこれで正解だったと思う。

自宅に帰り、息子が「お帰りぃ〜!」と思いっきり体当たりしてくるのがたまらなく嬉しかった。
仕事のことも借金のことも忘れ、息子と遊ぶのが何よりだった。
仕事がなくて暇だったのも今から思えば幸運だった。

その息子が先日、結婚式を挙げた。
結婚式の費用は全部息子がもった。
いつの間に資金を貯めていたのだろう。
私のときは結婚式の費用など一銭も持っていなかったのに。

まだ息子が言葉も覚えない頃から、言い聞かせていたことがある。
「お父さんが死んだら、借金しか残っていないから相続放棄をするんだぞ」と。
だからうちの息子が最初に覚えた四文字熟語が「相続放棄」だった。
そのせいで親をアテにしないで生きていく覚悟が身に付いたのだろう。
私の深慮遠謀が実を結んだのだ。