魚の釣り方は自分で考えろ

事業を後継者に引き継がせる場合の教訓に次のような格言がある。
「魚を与えるより、魚の釣り方を教えよ」
「与える」
「してあげる」
ばかりではダメ、釣った魚はすぐに腐ってしまう。
だから釣り方を教えなければ、いずれ飢えてしまう、という意味だ。

しかし、世の中の変化のスピードが激しいと魚の釣り方も変わってくる。
そうであれば教えてもらっていたことが陳腐化してしまう。
だから「釣り方を教えるより、魚の習性を教えよ」となる。
しかし、所詮、本人自ら学び、考えるしかない。
だったら「魚の釣り方は自分で考えろ」と突き放すことだ。
何も残さず、何も教えず、死んでいくことだ。
これが一番上等なやり方だ。
相続対策でも同じだ。
「何もしない」のが一番上等な対策なのだ。

なかでも税金対策など必要ない。
さんざん親の脛をかじってきたバカ息子だ。
いずれはお金の苦労もしなければならない時期が必ず来る。
それなら早い時期にお金の苦労をさせておくべきだ。
毎年、110万円の贈与をせっせとやっている人がいるがナンセンスだ。
必要でもない金をもらっても嬉しくもなんともない。
それどころか子供や孫の金銭感覚を狂わせ、人生を誤らせるだけだ。
こういうのを本末転倒という。

バカ息子やバカ孫のマイホームにしてもそうだ。
親の土地の上にバカ息子やバカ孫の住宅を建てさせ、おまけに住宅資金の援助までしてやり、自宅を建ててやるのは親バカが過ぎている。
「自分の家くらい自分で建てろ!」
と突き放してやるのが本当の親心だ。
結局、自立できる子供を育てること、相続対策などしなくてもよい子供を育てること。これに尽きる。
これができれば遺言書も必要ない。
仮に遺言書を書くにしても「俺のことは一日も早く忘れてくれ」の一言でよい(う~む。これは遺言書というより遺書だな)。
何もかもきれいさっぱり捨て去って、あの世に行くのだ。