頑張らなくていい。

私はマラソンで脚を怪我して神経が麻痺した。
その後まだ完治しない。
完治しないというより完治しようという気がない。
自然に身を任せているのだ。
自然治癒力を信じよう。

医者からは「三ヶ月間は通院しなさい」と言われていたが数日で病院通いはやめた。
リハビリもやらない。
医者からもらった薬も飲まない。
それでも歩くぶんには不自由しない程度には回復した。
若い頃なら歯を食いしばってリハビリに打ち込み、完治するまで頑張ったと思うが今は頑張らない。
人間の60兆個の細胞は常に入れ替わっているのだから無理をしなくても自然に治るに決まっているのだ。
死ぬときまでに治ればよい。
焦ることはないのだ。

まだ左足の指には麻痺が残っている。
だから“足指ジャンケン”ができない。
スリッパ(便所スリッパみたいな)を履いて歩けない。
靴下もスムーズに履けない。
それでも普通に歩くことさえできなかったことを思えば、生活に不自由しない程度に回復して満足している。
一時は二度と歩くことができなくなるのではないかと思っていたから、これで満足だ。
“足指ジャンケン”ができなくても生活には困らない。
また再びフルマラソンを走ることができるかどうかは天に任せるのだ。

私は最近、敗者の哲学とか隠遁者の哲学とか言われている老子に傾倒している。
10年前「目標を持たない」「計画を立てない」「頑張らない」を私の信条だと言っていたが、この考え方と相通じるのが老子だ。

「不争」。
人と争わない。
人の先頭に立たない。
「知足」「自足」。
足りていることを知り、現状に満足する。
そうすると楽な気分になる。
仙人になるための教科書だ。

こんな気持ちで生活していると今の五輪選手や五輪報道は異常に思える。
金メダル以外は価値がないという集団催眠にかかっているから始末が悪い。
キンキンキンキンとうるさいわっ!。
だから銀メダルや銅メダルを取っても喜べないアスリートがいる。
いったい何が不満なのだ!
オリンピックに出場できただけでも幸せではないか。

人間、求めれば求めるほど不幸になる。
向上心をもってはダメだ。

求めない—–すると、いまじゅうぶん持っていると気づく。

求めない—–すると、いま持っているものが、いきいきとしてくる。

求めない—–すると、それでも案外、生きてゆけると知る。

求めない—–すると、キョロキョロしていた自分が可笑しくなる。

求めない—–すると、体ばかりか心もゆったりしてくる。

伊奈谷の老子、加藤祥造「求めない」より

過去20年にわたる花村だよりから。

わたしは、断食が好きです。
わたしは、マラソンが好きです。
わたしは、二宮金次郎が好きです。
わたしは、老子が好きです。
わたしは、何も求めません。

こちらのブログでは、相続税申告と不動産税務に特化した業務を行う、花村会計事務所代表で税理士の花村一生(はなむら いっせい)が、日々の気付きについて語ります。