魚の釣り方は自分で考えろ

事業を後継者に引き継がせる場合の教訓に次のような格言がある。
「魚を与えるより、魚の釣り方を教えよ」
「与える」
「してあげる」
ばかりではダメ、釣った魚はすぐに腐ってしまう。
だから釣り方を教えなければ、いずれ飢えてしまう、という意味だ。

しかし、世の中の変化のスピードが激しいと魚の釣り方も変わってくる。
そうであれば教えてもらっていたことが陳腐化してしまう。
だから「釣り方を教えるより、魚の習性を教えよ」となる。
しかし、所詮、本人自ら学び、考えるしかない。
だったら「魚の釣り方は自分で考えろ」と突き放すことだ。
何も残さず、何も教えず、死んでいくことだ。
これが一番上等なやり方だ。
相続対策でも同じだ。
「何もしない」のが一番上等な対策なのだ。

なかでも税金対策など必要ない。
さんざん親の脛をかじってきたバカ息子だ。
いずれはお金の苦労もしなければならない時期が必ず来る。
それなら早い時期にお金の苦労をさせておくべきだ。
毎年、110万円の贈与をせっせとやっている人がいるがナンセンスだ。
必要でもない金をもらっても嬉しくもなんともない。
それどころか子供や孫の金銭感覚を狂わせ、人生を誤らせるだけだ。
こういうのを本末転倒という。

バカ息子やバカ孫のマイホームにしてもそうだ。
親の土地の上にバカ息子やバカ孫の住宅を建てさせ、おまけに住宅資金の援助までしてやり、自宅を建ててやるのは親バカが過ぎている。
「自分の家くらい自分で建てろ!」
と突き放してやるのが本当の親心だ。
結局、自立できる子供を育てること、相続対策などしなくてもよい子供を育てること。これに尽きる。
これができれば遺言書も必要ない。
仮に遺言書を書くにしても「俺のことは一日も早く忘れてくれ」の一言でよい(う~む。これは遺言書というより遺書だな)。
何もかもきれいさっぱり捨て去って、あの世に行くのだ。

死ぬまで働くのが幸せだ

私が資産税(相続税・贈与税や譲渡税などの税金)を専業とするようになってから28年になる。
資産税というのは恐ろしい税金でちょっとしたミスでも数千万円の追徴を食らってしまう可能性のある税金だ(本当は資産税に限らないのだが)。
お客さんに迷惑をかければ損害賠償で即廃業ということもあり得る。
私も取り返しのつかないほどの税額ではなかったが何度か弁償したことはある。
弁償したからこそ力がついたとも言える。
“百人殺して名医”というが失敗をしなければ実力はつかない。
“板子一枚下は地獄の世界”だ。
それに常時仕事にありつけるわけでもない不安定な仕事である。
ある程度覚悟の上の選択だったが、さすがに10数年間は食うや食わずの状態が続いた。
資金繰りの苦労は嫌というほど味わった。
私のような注意力散漫な人間が、無事にこの仕事を続けて来られたことが奇跡だ。この仕事は自分には向いていないのではないか。
何度思ったことか。

しかし、それでも税理士を30年も勤めていると、ど~ゆ~わけか仕事が面白くなってきた。
そしてなぜか無性に勉強したくなった。
「いまごろなに言(ゆ)~とんねん、遅いわ」と
言われそうだが学習意欲が湧いて来た。
私は奥手なのだ。

よぉ~し、こうなったら、仕事を道楽にできるぞ。
好きなことをして世間のお役に立ちながら、お金がもらえる。
こんな幸せは他にない。
人生80年と考えたら60歳からの20年間をどう生きるかだ。
死ぬまで働ければそれがどんなに幸せなことか。

働けなくなったらどうしよう、病気になったらどうしようという恐怖から財産を溜め込んでしまう。
いくら財産を溜め込んでも安心はできない。
死ぬまで元気に働けるのであれば財産はいらない。
なにより健康に税金はかからない。

ワシら自営業者は老後の趣味をわざわざ探す必要はない。
仕事そのものを道楽にしてしまえばよいからだ。
そうすれば死ぬまで道楽できる。
国民年金が少ないと嘆くことはない。
少ないからこそ老後も働くしかないのだ。
だから死ぬまで元気に働けるというものだ。

自営業者で老後の生活が安定するだけの財産を蓄えている人はほとんどいない。
真面目に仕事をやって来たにもかかわらず、みな借金まるけで終わるのだ。
かと言ってたっぷり財産を残して死んでいく人とどちらが幸せかというと何とも言えない。

iPhone6 plus

アップルがiPhoneの新製品を発表した。
以前の私なら新製品と聞いただけで何も考えずに食らいついた。
ダボハゼみたいに。
アップルにはたくさん貢いだことだよ。
しかし、いまの私は違う。
ジョブズ亡き後、新製品の発表にもワクワク感がなくなり、じっくり様子を見て、使った人たちの評判をネット上で確認してから買うようにしている。年を食ったのだ。
iPhone6はともかく、iPhone6 plusはいくらなんでもないだろ。
ネットで見る限り、でかい、でかすぎ。
何を考えとんねん!

iPhone6plusは早々と私の選択肢から消えた。
いまの私にはスマホは必須アイテムで、これがなければ夜も日も明けない。私が死んで棺桶に入ったら、そこにスマホも一緒に入れて欲しいほどだ。
そんなスマホ依存症の私が、いったい何に使っているのかと聞かれれば、電話とメール以外は何にでも使っていると答える(ただし、ゲームはやらないが)。
私は電話とメールが嫌いなのでスマホにその機能がついていなくてもよいとさえ思っているくらいだ。
それなら何もスマホでなくてもいいのにね(笑)。

機能的でデザインのよい機器に私は惚れ込んでしまう。
持っているだけでインスパイアされてしまうのだ。
おかげで仕事もやる気になるので決して高い買物ではない。
いまの自分の仕事上での使用機器はiPhone5とMacBook AirとiMacの組み合わせで使っている。
充分満足して使っているので買い替える必要はないが、新製品に食いつかないというのも落ち着かない。
こころがざわつくのであるよ。

気を鎮めるために実機を触ってみねばなるまい、ちゅうわけで名古屋栄のアップルストアに行った。
iPhone6とiPhone6 plusのまわりはさすがに人だかり、でも、じっくり見たよ。
「ん!iPhone6 plusの大きさ、許せるやん」
これならワイシャツの胸ポケットにスッポリ。
上部ははみ出ても横幅はピッタシ。
それに薄いし、これに決定!
ズボンの尻ポケットに入れていてiPhone6plusが曲がってしまったというニュースが流れたが、「アホか、こんなもの尻ポケットに入れる奴が悪いやろ」
私は今年から車を手放してどこにでも公共交通機関か徒歩で移動しているので、荷物は最少限にしたい。
できるなら胸ポケットにiPhone6 plusだけを忍ばせ、手ぶらであちらこちらに出かけたいのだ。

iPhone6 plusの薄さと軽さと画面の大きさならそれが可能になるかも知れない。
ひと昔まえのように計算機や法令集・参考書などをカバンの中に詰め込んで、ヒィヒィ言いながら移動していたのがウソみたいだ。
iPhone6 plusで私はまた仕事をやる気になって来た。
ワクワクしてくる。
インスパイアされちゃっているのだよ。