東京マラソン

骨盤骨折したのが1年2ヶ月前だった。
一時は寝たきりになるかも知れないと思ったが順調に回復し、その間ハーフマラソンを2回走った。
これでフルマラソンを完走すれば完全復活だ。
それも完走というだけでなく、念願のサブフォーを狙おうと出走したのが先月23日の東京マラソンだった。
結果は完走はしたがサブフォーには遠く及ばない、ほろ苦い結果となった。

ネットタイムでは4時間台ギリギリ。
ゴールでは精も魂も尽き果てた。
タイムの悪いときほど疲れる。
予想通り、大混雑している後方からのスタートだったので序盤の5kmは37分という超スローペースとなった。
練習でもこんなに遅く走ることはない。
しかも緩やかな下り坂が続いているのでとても楽チンだった。
20kmを過ぎても全然疲れを感じない。
これならフルマラソンといわず、100kmのウルトラマラソンでも走れるのではないか、とさえ思ったほどだ。

東京マラソンの沿道の応援は熱烈だ。
こんなレースで走ることができる幸せを感じながら観光気分になって走っていた。
私の隣を走っていたのが十字架を担いだキリストだった。
青白い病人のような顔をして、パンツ一丁でしかも裸足で大きな十字架を背負って走っているランナーだ。
キリストには沿道からの声援も凄かった。

ネクタイを締めて背広を着て走るランナーもいた(さすがに靴はマラソン用だったが)。
そういうランナーを携帯カメラで撮ったりしながら、同じペースで走って
いたのだ。
う~む、こんなことをしている場合ではない。
もっとペースを上げねば……。

そうこうしているうちに30km地点に来た。
あわわわ、ずいぶん遅れてもうた。
サブフォー絶望や、それどころか、下手をすれば5時間台になってしまうやないか。
焦った。
最悪、完走さえ出来れば、という気持ちで臨んだけれど、それにしても5時間台はあり得へん。
これでは末代までの恥だとさえ思った。
遅きに失したがペースを上げようと思った。
が、しかし……。足が動かへん。
心肺機能は全く問題ない。
息も上がっていないし余力はあるように感じていたが、脳と足がバラバラだ。
足が棒のようになるとはこのことか。
筋肉に乳酸がたまり、固くなっているのか。
ちょっとした段差や小石につまづいて転びそうになる。
40km過ぎた頃には、なんでこんな結果になったのだろう、という落ち込んだ気
分になってしまった。
真央ちゃんがソチ五輪でショートプログラムを終えた時の心境もかくのごとくか?
このままでは終われん。
もう一回挑戦せなあかんやろ。
と思いながらゴールしたことであるよ。

働かなくても食ってよし

消費税という税は逆進性という致命的欠陥を持っている。
所得の低い人たちや年金生活者にとって消費税の増税は生活を直撃する。
それでも国民の半数以上が消費税増税やむなしとの意見だったのは、その増税分が社会保障の充実に充てられると思い込まされたからだ。

ところがどっこい、「消費税増税という痛みを分かち合うのだから、その前に社会保障費を削減すべきだ」という方向に話がすり替えられている。
いったい、どないなっとんねん!

これではますます老後の生活が不安になり、萎縮して金を使わなくなる。
なんのことはないデフレからの脱出はできないことになるわけだ。
片方でインフレ目標を掲げておきながら、やっておることがちぐはぐだ。
いったい、なにさらしてけつかんねん!(これって河内弁?)

数年前、民主党政権のとき消費税増税にあわせて「給付付き税額控除」という制度が提唱された。
低所得者に現金を給付する「マイナスの所得税」のことだ。
今では「給付付き税額控除」が話題になることもなくなったが、それにかわり「ベーシックインカム」という考え方が注目されるようになって来た。

「ベーシックインカム」とは、赤ん坊から年寄りまで生きている限り、貧乏人にも金持ちにも一律、無条件に国が一人一人に最低生活費として現金をばらまく考え方だ。
その金は自由に使ってよい金だ。
パチンコで散財しようが、酒を飲んだくれようが誰からも文句を言われる筋合いはない。
生活保護費のように恥を忍んで貰いに行くこともない。
一律にばらまくのだから役人が介入する余地もない。
「世の中、怠け者だらけになるじゃないか」と怒り出す人もいるだろう。
しかし、食うために魂を売り渡して嫌な仕事に就いていることはない。

失業の恐怖から我慢に我慢を重ねて疲れ果て、いったい何のための人生だったのかという者もいるのだ。
「働かざるもの食うべからず」という圧迫から人類が初めて解放される。
「食うために働く」から「働くために食う」への転換だ。

例えば1人月額8万円(夫婦、子供2人なら月32万円)とすると122兆円必要になるが、生活保護費や年金を支払う必要がなくなるので差し引き58兆円ほど国民負担が増える。
国民負担率では39%から57%程度になる(ドイツ、フランス並みの負担率だ)。
決して夢物語の数字ではない。
毎月1人8万円貰ったら君ならどうする?
それでも働きたいだろ?
働かなくてもよいと言われれば、逆に仕事をしたくてうずうずしてくるはずだ。
それも意義ある仕事を。

ビルドアップ走

「あわわわわ。もう一ヶ月切っちまったよ。どないしょ」
東京マラソンの通知が届いたのだ。
ナンバーカード引換証などと一緒に、開催日が近づいてきたけれど準備はよいか、という案内の通知だ。
東京マラソンの抽選結果の発表は昨年だった。
「まだ6ヶ月以上もある。たっぷりトレーニングをしてサブ4を狙ってこましたろ」と思っていたのだ。
……が、しかし、油断をしてしまった。

昨年は真面目にトレーニングをしたつもりだったが、今年の正月からサボりぐせが
ついてしまった。
私は暑いのも苦手だが寒いのも苦手だ。
早朝に走ることにしている私にとって、冬の早朝は寒くて走る気がしない。
特に冬は以前ケガをした古傷がうずき、それをかばって走っているうち体のバランスが狂い、疲れて走れなくなる。
てなわけで疲れたら無理せず休養。
「休養も練習のうち」と気休めの言葉で自分をごまかし、ゆるゆるになっていた。

だから今は試験が近づいて、勉強不足を後悔している受験生のような気分なのだ。
年を食うと下りのエスカレターに乗っているようなもの、ちょっと油断すると、あっという間に体力は低下する。
練習しても現状維持が精一杯だ。
一昨年はケガが続き、ここ2年ほどはフルマラソンを走ったことがない。
10kmやハーフマラソンなら今でも完走する自信はあるが、フルマラソンとなると「生きて帰って来れるかしらん」と緊張する。
マラソンの練習を始めた頃、佐々木 功著「ゆっくり走れば速くなる」という本に
感銘を受けた。
「ゆっくり走り、また明日も走りたいなぁ、というところでやめておくのがコツ」と書いてあった。
それもそうだと思い、チンタラ走っていたのだが、やっぱり、これではタイムは伸びない。
マラソンを舐めとったらあかん、ちゅうこっちゃ。
かと言ってスピード練習はきついのでやる気が起きない。
てなわけでいつまで経ってもタイムは平凡なままだ。
マラソンを始めたからには、せめてサブ4でも狙ってみたいものだと思い、ゆっく
り走るだけではあかん。少しはきつい練習もせなあかん、と思い。
ビルドアップ走という練習をたまにやることにした(10回に1回ぐらいの割だけどね)

ビルドアップ走という練習方法は徐々にスピードを上げていき、最後は目一杯のス
ピードで走りきる練習だ。
きついからあまりやらないけど走り終わった後は爽快な気分になれる。
残りの人生もビルドアップ走で、いてこましたろかしら(これ河内弁?)
しっかり走りきって爽快な気分であの世に行くのも悪くない、と思う今日この頃。
それなら年中無休でヘトヘトになって死ぬつもりか、だって?
それはない。

「いま、この瞬間」に生きる

先月、お伝えした骨盤骨折のことだが、その後、CTスキャンで精密検査を受けることになった。
その結果、医者から「お〜、しっかり折れとる。完全無欠の骨盤骨折。東京マラソンは無理だな。全治三か月!」というご宣託を受けた。
言われるまでもなく東京マラソンの出場は諦めている。
「いくら何でもこりゃ無理だわな」と自分で分かる。

ケガからちょうど一ヶ月。
まだ松葉杖なしでは歩けない。
数メートル移動するにも激痛に耐えなければならない。

私は空腹や貧乏には耐性ができているが、痛みにはからっきし弱いのだ。
歯の治療でも全身麻酔でやってもらいたいくらい痛みには弱い。
もし私がスパイで敵国に捕まったとしたら、拷問にあう前にペラペラと秘密を白状してしまうことだろう。

松葉杖で歩いていても、トイレに行くときも、風呂に入るときも、今度転んだら寝たきり生活になりかねないから、もう転べない。
「ゆっくり、丁寧に、そしてはっきりした気持ちで」行動するしかない。
「ゆっくり、丁寧に、はっきりと」と、まるで呪文のように、こころに刻みながら過ごした。

そうこうしているうちに、これは図らずも禅の修行と同じだ、と気づいたのだ。
日常生活のすべての場面で「いま、この瞬間」に意識を集中させる。
「ん?。ひょっとすると、これが禅でいう“常住坐臥”とか“前後裁断”ということか」

済んでしまったこと、将来のことをくよくよ考えず、今この瞬間を精一杯生きる。過去や未来はイリュージョン。
「いま、この瞬間」だけが悟りに繋がる入口。

そのせいか、ここ一ヶ月ほどは、体は不自由だが心は平穏で、安定している。
明鏡止水の心境だ。
「う〜む、この感覚か。コツが分かってきたぞ」こうなると不思議なことに痛みに耐えるというより、痛みを味わっているので苦痛を感じない。
よお〜し!悟りは近い。
ワクワクする。仙人までもう一息だ。

「過去」や「未来」は存在しない。
存在しているように、お互いに催眠術をかけあっているのだ。
「いま、この瞬間」だけが真実。
簡単なことだったのだ。

ん?……。
ってことは諸君!
確定申告も必要ないということだ。
いまさら昨年の売上や経費を集計してもしようがない。
もう済んでしまったことだ。忘れろ。

相続税対策もなおさら必要ない。
いつ死ぬか分からない将来のことを心配しても仕方がない。
その時が来たら、もうあなたは死んでおるのだ。

う〜む、仙人になると税理士なんかやっとれんなあ〜。