バランスの良い食事って?

うちの次男は大道芸人をやっている。
ゴールデンウィークの最中は稼ぎ時だ。
そこで何を思ったか関東へ出稼ぎに行くというので、飼っていたモルモットを一時、預かって欲しいと餌付きで持ってきた。
モルモットはちょこまか動いてクークー鳴くが、大してうるさくもないし、時々餌をやるだけなので面倒はない。
糞も臭くないので部屋の中で飼っても苦にならない。
名前は「サーちゃん」だって。
なんでか知らんけど。
夫婦二人で暮らしているところにやってきたサーちゃんはうちのカミさんのいい友達になった。
ところでこのサーちゃん、よく食うし、よく糞をするのだ。
餌はパスチャーチモシーという干し草だ。
袋にいっぱいの干し草があっと言う間になくなってしまう。

それにしてもサーちゃん、朝から晩まで干し草ばかり食べておる。
干し草のどこに栄養はあるのだろう。
タンパク質や炭水化物は摂らなくてよいのか?
バランスの悪い食生活をしておると長生きできんぞ、おい!

時々、ニンジンやレタスを食すが、干し草が一番の好物みたいだ。
それより何より、いったい干し草のどこが美味いのだ!
夢中で食っているサーちゃんを見ながらそう思った。
タンパク質や炭水化物を摂らずに、どうしてそんなに元気にしていられるのだろう。
枯れ草にカロリーはあるのか?

サーちゃんを見ながら、なぜそんなことを考えたかと言うと、ちょうど夏井睦医師の「炭水化物が人類を滅ぼす」という本を読んでいたからだ。
炭水化物を摂る度に血糖が上がる。
これがいけないらしい。
血糖は人体に害がある。
だから血糖を上げない食事をする。
ただこれだけだ。
いま話題の糖質制限の本だ。

炭水化物といえば、ご飯、パン、うどん、ラーメン、お好み焼き等々、うまいもんばかりだ。
しかし炭水化物は嗜好品で中毒性があるという。
そういえば私は独身の頃、インスタントラーメン中毒に冒されていた。
一日三食、一日も休まず、三ヶ月間食い続けて、体がだるくなって医者に診てもらったら肝臓がやられていた。
しかし、それは炭水化物のせいではなく油が悪かったのかも知れないが……。
ま、そんなことは昔のことだ、どうでもよい。

健康のための決まり文句は「バランスの良い食事」と「適度な運動」だ。

しかし、人間以外でバランスのよい食事を摂っている動物がいるだろうか。
牛は草ばかりライオンは肉ばかり食って、元気にしてるじゃないか。
タンパク質も摂らねば、カルシウムやビタミン、ミネラルも摂らねば、惚けないためにはDHAやEPAも必要ならば青魚を食いまくらねばならぬ。
そんなことをしていたら食い過ぎで病気になってしまうだろ。

所詮、バランスのとれた食事などできはしないのだ。

サーちゃんを見てみろ、食事のバランスなど考えもせず、夢中になって枯れ草を食っているではないか。
栄養分が足りなきゃ、自分の体の中で作り出す。
余れば体から排泄する。
バランスを保つのはちっぽけな頭で考えなくても大自然に任せればよい。
こう考えれば糖質制限もよいが、それより断食の方が遥かに効き目があると思うよ。
何も食べなくても天に任せておけばよいという次元の違う心境になれるのが何よりの功徳なのだ。

相続税の税務調査の現場は奥さんの独壇場

相続税の税務調査を何度も受けたことがあるというベテランの納税者はいない。
生まれて初めて税務調査を受ける人がほとんどだ。
だから、実際に臨宅調査(自宅に税務署員が来て 調査をすること)となれば皆さん緊張される。
当然のことだ。

しかし、最近の税務署員はとてもフレンドリーな者が多く威圧感がまるでない。
そして皆、一様に雑談好きだ。
たまたま話が断食やマラソンの話になるとしっかり食いついて来る。
いつまでも食いついて来るので、こうなったら本来の調査をする時間を短くしてやれ、という魂胆で、こちらもいつまでも話し続けていると、結局は終了時間が遅くなるだけなのだ。
だから最近はこちらから雑談を持ちかけるのはやめにした。
結局、彼らは雑談しながらでも手を休めないという芸当(マルチタスク)ができないのだ。

相続税の調査は午前中は被相続人(亡くなった方)の経歴や趣味、人となり、などの聞き取りから始まり、一族郎党の名前、職業なども聞いてくる。
このとき頼りになるのが、相続人である長男の奥さんとか、亡くなったご主人の奥さんとか、いずれにしても女の人だ。
親戚の名前や職業などスラスラ答えられる男はまずいない。
ここらは女性の独壇場だ。
それにしてもよくご存知だ。
苦労して覚えるのではなく自然に頭に入っているのだろう。

それと家庭内でのお金の管理をしていたのもやはり女の人だ。
男は何にも分からない。
○年×月の○○円の出金は何に使われましたか?という質問にも男は何も答えられない。
「さぁ~、何だったかなぁ。死んだ親父のやったことだからなぁ」と頼りない。
このとき奥さんが「ああ、分かった、あれよ。自宅の修繕をしたじゃない」と一発回答なのだ。
「領収証とかありますか?」
「ちょっと待ってて、いま持ってくるから」と次々に調査は進んでい く。
奥さんはルンルン気分で楽しそうだ。
う~む、この家は奥さんでもっているのだなぁ。

夫婦は旦那がぼぉ~っとしていると奥さんがしっかりしている。
こういう家庭が約8割だ。
反対に奥さんがぼぉ~っとしていると旦那がしっかりしている。
夫婦とはよくしたものだ。
両方ともしっかりしている家庭はまずない。
夫婦揃って、ぼぉ~っとしている家庭はたまに ある。
以前、家族全員がぼぉ~っとしているケースに当たったことがあるが、こういう家族には癒されるが、相続税の申告は大変だったよ。

読字障害(ディスレクシア)

ひょっとしたら私は読字障害(ディスレクシア)という病気ではないかと思うことがある。
読字障害というのは識字障害、難読症とも言う。
字を読んでも理解できないとか、字が絵に見えてしまうとか読み書きに苦労する病気だ。
欧米では10人に1人の割合である病気らし い。
日本では20人に1人ぐらいの割合ではないかと言われている。
左脳の働きに問題があるのだ。
有名な人物ではピカソやフォード、ディズニーらが読字障害だったらしい。

いま、あるお客さんの相続税の件で、国税不服審判所に審査請求をしている。そうすると税務署との間で答弁書や回答書など退屈な文書のやり取りをすることになるのだが、その税務署が出してくる文書が読めないのだ。何が書いてあるのかさっぱり分からん。
それでも無理して読むと数ページ読んだところで吐き気がしてくる。
いったいこの文書を書いた担当者の頭の中はどないなっとんねん!
一言で終わることなの に、わけの分からない文章をダラダラと書きやがって!
こんな駄文を読まされる身になってみろ!
馬鹿馬鹿しくて付き合ってられるか!
不服申立などしなけりゃよかったと後悔する。
私が最初に国税不服審判所に審査請求を出したのは今から30年前だ。
そのとき審査請求書に添付した理由書はA4一枚の紙に箇条書きとともに◎や×、♡、△、→など図解して書いて出してやった。
自分では簡潔でとても分かりやすい文書だと自負していたのだが、国税不 服審判所の担当官はアホだったので「こんな理由書は受け付けられない」と怒りだしてしまっ た。
彼らにとってはダラダラとわけの分からない文章で書き連ねた理由書の方が馴染んでいるので楽なのだろう。
その時からこいつらとは付き合いきれないと思ったものだが、それは今でも変わらない。
読字障害の症状は小説などを読んでいるときは出ないのだが、請求書や督促状を見たときは発作的に起こる。
突発性読字障害だ。
また、税法の法令集を読むときにも読字障害の症状が出る。
「それでよく税理士の仕事が勤まりますねぇ」と言われそうだが「経験」と「勘」 と「度胸」で乗り切るのだ。
私は30年間、資産税の分野で仕事を続けてきたが大きな間違いもせずやって来れたのは「経験」と「勘」と「度胸」を働かせてやって来たからだ。人間、最後はアナログだよ。

車を手放せ

私は今年の1月からマイカーに乗るのをやめた。
どこに行くにも電車とバスを乗り継ぐか、歩くことにしている。
名古屋市の「敬老パス」を利用するようになって公共交通機関で移動するのが面白くなったのがきっかけだ(最近、私は生まれて初めて名鉄バスに乗った)。
それにしても昼間の電車やバスの中はガラガラでとても新鮮だ。
書斎がわりに使える。
名古屋市の地下鉄・市バスはタダで乗り放題。
名鉄やJRはカードタッチ(私の場合はmanaca)で改札口を通るので、小銭もいらないし、いちいち乗車料金を確認しなくてよい。
どこへ行くにもスマホさえあれば乗換駅や経路、到着時刻などが分かる。
事前準備に時間がかからない。

煩わしさがなくなったので電車やバスの乗り継ぎが苦にならなくなった。
スマホとmanaca カードと敬老パスを持って事務所を飛び出すのだ。
荷物も手提げカバンをやめてバックパックにした。
両手が空いて快適だ。
これなら二宮金次郎みたいに本を読みながらでも移動できる(あはははは)
名古屋は公共交通機関が発達していないから、車を持っていなければ仕事にならな
いと思い込んでいたが、そうでもない。
車がなくても十分やっていける。

どうしても車が必要なときのために「カリテコ」というカーシェアリングの会
員となったが、まだ一度も使ったことがない。
考えてみれば車など必要ないということだ。
たまに交通の便の悪いところに行くとバスの待ち時間が1時間なんてこともあるが、それはそれで文庫本を読む時間に充てればよし、歩いてもよし。
私は1時間や2時間歩くのは平気だ。
マラソンのトレーニングのつもりで歩くので苦にならない。

今まで何気なく車で通り過ぎていた町が歩いてみると新発見がある。
思いのほか寂れた町が多いのが気になるが……。
公共交通機関で移動することが苦にならなくなったのもスマホアプリとカードが相
互利用できるようになったデジタル化のおかげだ。
デジタルはアナログの時間を作り出す。
人間、脳がデジタルだと病気になる。
できる限りアナログの時間を持たなければならない。
それには電車とバスを乗り継ぎ、歩くことが一番だ。
こうして移動していると頭がすっきりしてくるから不思議だ。
車に乗っている奴がバカに見える。

これからの大増税時代は格差貧困社会という1%の金持ちと99%の貧乏
人を生み出す。
あなたが1%の金持ちに入れると思っているなら大間違いだ。
誰も彼もが貧乏人になるのだ。
覚悟しておいた方がよい。
その時は健康だけが財産だ。
明日からの消費税率アップは弱者を直撃する。
半年もしないうちに不景気が世の中を覆うことになる。
来年10月に10%に税率を引き上げる予定なので、マスコミ(特に日経)は「消費増税の影響は軽微」などと書き立てて捏造報道を繰り返すだろうが騙されてはいけない。
日経を読むとバカになる。
インチキ・アベノミクスから身を守るには、節約しかないのだ。
節約のまず第一歩は金食い虫の車を手放すことだ。
節約を楽しんで健康になる。
これが不況を乗り切る切り札、ロハスだ。

親の影響

東京マラソンを走った後、東京に住んでいる私の息子(長男)を訪ねることになっていた。
自営業者となっている息子の確定申告を手伝ってやる約束だったのだ。
マラソンを走った後だったので電車の乗り継ぎで駅の構内の階段の昇り降りはきつかった。
脚がバッキバキに凝っているので手すりにしがみつきながらの階段だった。
まるで老人だ。
東京に住んでいる息子は車を持っていないので「疲れているから車で迎えに来い」とは言えないし、タクシーに乗るのはもったいない。

息子の確定申告の手伝いのことだが、領収書などの保存が苦手みたいだ。
儲かっているのか、いないのかさえ、さっぱり分からないらしい。
ま、食っているので何とかなっているのだろう、と気楽に確定申告の手伝いは終わった。
息子は私に似て数字が苦手だ。
税理士である私も息子の確定申告に関心がない。
「税金のことは気にせず、仕事に集中しろ」と言っておいた。

私の息子は会社から独立して東京で自営業者として開業したが、のんきな性格なので果たして食っていけるのかと心配するのが親心。
と思うだろ。
が、正直なところ私は心配したことはない。
私は息子が小さい頃から「群れるな、はぐれ鳥になれ」と言い続けてきたから、
いまこうして「はぐれ鳥」になっている息子に「よくやった」と言ってやりたい。食っていけるかどうかは関係ない。
そんなことより大事なことは体力と気力だ。
体力と気力さえあれば何とでもなる。
健康に気をつけて元気でいて欲しい。
ただそれだけだ。
そのためには歩くか走ることを日常の生活習慣にすることだ。

しかし、息子の仕事は一日中、パソコンの前に座ってやる仕事なので健康が保てるかが心配だった。
だから3年前、「運動不足だろ、おまえも走れ」とモンゴルマラソンに誘い出し、一緒にモンゴルの草原を走ったことがある。
マラソンにハマって毎日少しずつでも走るようになればいいが、との思いで勧めたのだ。
それ以来、走っている様子がないのでマラソンにはハマらなかったな。
と思っていた。ところが意外にも息子からマラソンの話をしてくる。
自分もマラソン大会のエントリーをしたというのだ。
「やっと走る気になってくれたか」と嬉しかった。

強制することなく自分からハマっていくように仕向けたのは、マラソン以外にはパソコンのMacだ。
私がMacにハマったとき、当時2歳の息子にも使わせたら、息子は完璧にMacに
ハマった。
それが嵩じて美大に行き、今ではデザインの仕事で張り切っている。
Macといい、はぐれ鳥といい、マラソンといい、私はいいものを息子にハメてやった。

しかし、もう一人の息子(次男)は「自分の趣味を押し付けないでくれよな」などとぬかして言うことを聞かない。
それでもしっかり“はぐれ鳥”にはなっている。

東京マラソン

骨盤骨折したのが1年2ヶ月前だった。
一時は寝たきりになるかも知れないと思ったが順調に回復し、その間ハーフマラソンを2回走った。
これでフルマラソンを完走すれば完全復活だ。
それも完走というだけでなく、念願のサブフォーを狙おうと出走したのが先月23日の東京マラソンだった。
結果は完走はしたがサブフォーには遠く及ばない、ほろ苦い結果となった。

ネットタイムでは4時間台ギリギリ。
ゴールでは精も魂も尽き果てた。
タイムの悪いときほど疲れる。
予想通り、大混雑している後方からのスタートだったので序盤の5kmは37分という超スローペースとなった。
練習でもこんなに遅く走ることはない。
しかも緩やかな下り坂が続いているのでとても楽チンだった。
20kmを過ぎても全然疲れを感じない。
これならフルマラソンといわず、100kmのウルトラマラソンでも走れるのではないか、とさえ思ったほどだ。

東京マラソンの沿道の応援は熱烈だ。
こんなレースで走ることができる幸せを感じながら観光気分になって走っていた。
私の隣を走っていたのが十字架を担いだキリストだった。
青白い病人のような顔をして、パンツ一丁でしかも裸足で大きな十字架を背負って走っているランナーだ。
キリストには沿道からの声援も凄かった。

ネクタイを締めて背広を着て走るランナーもいた(さすがに靴はマラソン用だったが)。
そういうランナーを携帯カメラで撮ったりしながら、同じペースで走って
いたのだ。
う~む、こんなことをしている場合ではない。
もっとペースを上げねば……。

そうこうしているうちに30km地点に来た。
あわわわ、ずいぶん遅れてもうた。
サブフォー絶望や、それどころか、下手をすれば5時間台になってしまうやないか。
焦った。
最悪、完走さえ出来れば、という気持ちで臨んだけれど、それにしても5時間台はあり得へん。
これでは末代までの恥だとさえ思った。
遅きに失したがペースを上げようと思った。
が、しかし……。足が動かへん。
心肺機能は全く問題ない。
息も上がっていないし余力はあるように感じていたが、脳と足がバラバラだ。
足が棒のようになるとはこのことか。
筋肉に乳酸がたまり、固くなっているのか。
ちょっとした段差や小石につまづいて転びそうになる。
40km過ぎた頃には、なんでこんな結果になったのだろう、という落ち込んだ気
分になってしまった。
真央ちゃんがソチ五輪でショートプログラムを終えた時の心境もかくのごとくか?
このままでは終われん。
もう一回挑戦せなあかんやろ。
と思いながらゴールしたことであるよ。

働かなくても食ってよし

消費税という税は逆進性という致命的欠陥を持っている。
所得の低い人たちや年金生活者にとって消費税の増税は生活を直撃する。
それでも国民の半数以上が消費税増税やむなしとの意見だったのは、その増税分が社会保障の充実に充てられると思い込まされたからだ。

ところがどっこい、「消費税増税という痛みを分かち合うのだから、その前に社会保障費を削減すべきだ」という方向に話がすり替えられている。
いったい、どないなっとんねん!

これではますます老後の生活が不安になり、萎縮して金を使わなくなる。
なんのことはないデフレからの脱出はできないことになるわけだ。
片方でインフレ目標を掲げておきながら、やっておることがちぐはぐだ。
いったい、なにさらしてけつかんねん!(これって河内弁?)

数年前、民主党政権のとき消費税増税にあわせて「給付付き税額控除」という制度が提唱された。
低所得者に現金を給付する「マイナスの所得税」のことだ。
今では「給付付き税額控除」が話題になることもなくなったが、それにかわり「ベーシックインカム」という考え方が注目されるようになって来た。

「ベーシックインカム」とは、赤ん坊から年寄りまで生きている限り、貧乏人にも金持ちにも一律、無条件に国が一人一人に最低生活費として現金をばらまく考え方だ。
その金は自由に使ってよい金だ。
パチンコで散財しようが、酒を飲んだくれようが誰からも文句を言われる筋合いはない。
生活保護費のように恥を忍んで貰いに行くこともない。
一律にばらまくのだから役人が介入する余地もない。
「世の中、怠け者だらけになるじゃないか」と怒り出す人もいるだろう。
しかし、食うために魂を売り渡して嫌な仕事に就いていることはない。

失業の恐怖から我慢に我慢を重ねて疲れ果て、いったい何のための人生だったのかという者もいるのだ。
「働かざるもの食うべからず」という圧迫から人類が初めて解放される。
「食うために働く」から「働くために食う」への転換だ。

例えば1人月額8万円(夫婦、子供2人なら月32万円)とすると122兆円必要になるが、生活保護費や年金を支払う必要がなくなるので差し引き58兆円ほど国民負担が増える。
国民負担率では39%から57%程度になる(ドイツ、フランス並みの負担率だ)。
決して夢物語の数字ではない。
毎月1人8万円貰ったら君ならどうする?
それでも働きたいだろ?
働かなくてもよいと言われれば、逆に仕事をしたくてうずうずしてくるはずだ。
それも意義ある仕事を。

ビルドアップ走

「あわわわわ。もう一ヶ月切っちまったよ。どないしょ」
東京マラソンの通知が届いたのだ。
ナンバーカード引換証などと一緒に、開催日が近づいてきたけれど準備はよいか、という案内の通知だ。
東京マラソンの抽選結果の発表は昨年だった。
「まだ6ヶ月以上もある。たっぷりトレーニングをしてサブ4を狙ってこましたろ」と思っていたのだ。
……が、しかし、油断をしてしまった。

昨年は真面目にトレーニングをしたつもりだったが、今年の正月からサボりぐせが
ついてしまった。
私は暑いのも苦手だが寒いのも苦手だ。
早朝に走ることにしている私にとって、冬の早朝は寒くて走る気がしない。
特に冬は以前ケガをした古傷がうずき、それをかばって走っているうち体のバランスが狂い、疲れて走れなくなる。
てなわけで疲れたら無理せず休養。
「休養も練習のうち」と気休めの言葉で自分をごまかし、ゆるゆるになっていた。

だから今は試験が近づいて、勉強不足を後悔している受験生のような気分なのだ。
年を食うと下りのエスカレターに乗っているようなもの、ちょっと油断すると、あっという間に体力は低下する。
練習しても現状維持が精一杯だ。
一昨年はケガが続き、ここ2年ほどはフルマラソンを走ったことがない。
10kmやハーフマラソンなら今でも完走する自信はあるが、フルマラソンとなると「生きて帰って来れるかしらん」と緊張する。
マラソンの練習を始めた頃、佐々木 功著「ゆっくり走れば速くなる」という本に
感銘を受けた。
「ゆっくり走り、また明日も走りたいなぁ、というところでやめておくのがコツ」と書いてあった。
それもそうだと思い、チンタラ走っていたのだが、やっぱり、これではタイムは伸びない。
マラソンを舐めとったらあかん、ちゅうこっちゃ。
かと言ってスピード練習はきついのでやる気が起きない。
てなわけでいつまで経ってもタイムは平凡なままだ。
マラソンを始めたからには、せめてサブ4でも狙ってみたいものだと思い、ゆっく
り走るだけではあかん。少しはきつい練習もせなあかん、と思い。
ビルドアップ走という練習をたまにやることにした(10回に1回ぐらいの割だけどね)

ビルドアップ走という練習方法は徐々にスピードを上げていき、最後は目一杯のス
ピードで走りきる練習だ。
きついからあまりやらないけど走り終わった後は爽快な気分になれる。
残りの人生もビルドアップ走で、いてこましたろかしら(これ河内弁?)
しっかり走りきって爽快な気分であの世に行くのも悪くない、と思う今日この頃。
それなら年中無休でヘトヘトになって死ぬつもりか、だって?
それはない。

「いま、この瞬間」に生きる

先月、お伝えした骨盤骨折のことだが、その後、CTスキャンで精密検査を受けることになった。
その結果、医者から「お〜、しっかり折れとる。完全無欠の骨盤骨折。東京マラソンは無理だな。全治三か月!」というご宣託を受けた。
言われるまでもなく東京マラソンの出場は諦めている。
「いくら何でもこりゃ無理だわな」と自分で分かる。

ケガからちょうど一ヶ月。
まだ松葉杖なしでは歩けない。
数メートル移動するにも激痛に耐えなければならない。

私は空腹や貧乏には耐性ができているが、痛みにはからっきし弱いのだ。
歯の治療でも全身麻酔でやってもらいたいくらい痛みには弱い。
もし私がスパイで敵国に捕まったとしたら、拷問にあう前にペラペラと秘密を白状してしまうことだろう。

松葉杖で歩いていても、トイレに行くときも、風呂に入るときも、今度転んだら寝たきり生活になりかねないから、もう転べない。
「ゆっくり、丁寧に、そしてはっきりした気持ちで」行動するしかない。
「ゆっくり、丁寧に、はっきりと」と、まるで呪文のように、こころに刻みながら過ごした。

そうこうしているうちに、これは図らずも禅の修行と同じだ、と気づいたのだ。
日常生活のすべての場面で「いま、この瞬間」に意識を集中させる。
「ん?。ひょっとすると、これが禅でいう“常住坐臥”とか“前後裁断”ということか」

済んでしまったこと、将来のことをくよくよ考えず、今この瞬間を精一杯生きる。過去や未来はイリュージョン。
「いま、この瞬間」だけが悟りに繋がる入口。

そのせいか、ここ一ヶ月ほどは、体は不自由だが心は平穏で、安定している。
明鏡止水の心境だ。
「う〜む、この感覚か。コツが分かってきたぞ」こうなると不思議なことに痛みに耐えるというより、痛みを味わっているので苦痛を感じない。
よお〜し!悟りは近い。
ワクワクする。仙人までもう一息だ。

「過去」や「未来」は存在しない。
存在しているように、お互いに催眠術をかけあっているのだ。
「いま、この瞬間」だけが真実。
簡単なことだったのだ。

ん?……。
ってことは諸君!
確定申告も必要ないということだ。
いまさら昨年の売上や経費を集計してもしようがない。
もう済んでしまったことだ。忘れろ。

相続税対策もなおさら必要ない。
いつ死ぬか分からない将来のことを心配しても仕方がない。
その時が来たら、もうあなたは死んでおるのだ。

う〜む、仙人になると税理士なんかやっとれんなあ〜。

週休三日やめました

考えるところがあり、この正月をきっかけに今年から心機一転、10年間続けた週休三日をやめて、土・日・祝日休みの世間並みの普通の勤務体制にすることにしました。
来年から相続税の基礎控除が引下げられます。
相続税の申告件数も多くなり、忙しくなりそうなので、それに対応するための準備でもあります。
それより何より、今年は政治や経済状況が予断を許さない深刻な状況になると思ったからです。
のんきに週休三日などやっている場合ではないと思ったのです。

断食やマラソンのおかげで体調はすこぶる快調なので、健康で元気に働けるうちは頑張ろうという気分になりました。
私の同世代の者たちは定年退職となって、自宅で引きこもり状態の仲間もいます。
それを考えれば死ぬまで働ける仕事についていることが如何に幸せなことかと感謝しています。
ですから元気なうちは、働いて世間のお役に立たんとあかんやろ、という殊勝な気分になったのです。

今まで、皆さんが働いている金曜日でも電話が繋がらないなど、ご迷惑をおかけしていましたが、今後は金曜日でも対応できることになりますので、よろしくお願いします。

今まで何度も書いてきたとおり、私の血筋は皆、短命で、私も40歳代で死ぬと思い込んでいたので、自分が年寄りになるなど想像もしていませんでした。
運がよくても60歳までにはくたばるだろう、と思っていたのです。

しかし、ここまで生きてきて、いまだにどこといって悪いところもなく、俺はいったいいつまで生きるのだろうと不安にさえなる今日この頃。
長生きのリスクはカミさんに先立たれることです。
これこそが最大のリスクです。
これだけは絶対にご免こうむりたい。
「俺より一日でも長く生きてくれ」ということが切実な願いです。
長生きもいい加減にせんといけません。

私にはもともと「野垂れ死に」願望があって、死んだらそれでおしまい。
後は野となれ山となれ。
という考えの持ち主だったのです。
ですから今まで、遺言書を書く人の心情というものを理解できませんでした。
しかし、私は今年初めて自分が死んだ後のことを気にするようになりました。
自分が死んだ後のカミさんのこと、子供たちのこと、事務所の職員さんのこと。
お客様のこと等々、考える良い機会となりました。
めでたくもあり、めでたくもなし。