岐阜清流マラソン

昨年暮れの骨盤骨折後、3ヶ月間走ることが出来なかった。
ようやくジョギングを開始したのは今年の3月。
それでも5km走るのがやっと、という状況だったがとりあえず、もう一度復活してこましたろ、ちゅうわけで、先月の19日「高橋尚子杯岐阜清流マラソン」に参加した。
ハーフマラソンだ。
目標は制限時間内に完走すること。
ただそれだけ。

結果は楽チンで完走できた。
無理さえしなければ何キロでも走れそうな気がした。
練習でハーフの距離を走るのはつらいが、レースなら皆と一緒に走れるし、何より沿道の応援がパワーをくれる。

制限時間が3時間とゆとりがあったので、ゆっくりスロージョギングで最後までペースを崩さず走ることができた。
すべての給水所では立ち止まって、たっぷり水を飲んだので腹がゲボゲボになった。
イチゴやバナナ、あんパンなどの食料も遠慮なくたっぷり食って腹一杯になった。

Qちゃん(高橋尚子)とハイタッチした後は一段と元気になった。
Qちゃんはええ子やねぇ。
いつも元気で明るく国民栄誉賞にふさわしい子や、と思う。
岐阜清流マラソンはQちゃんの人柄が隅々まで行き渡って一人一人のボランティアも素晴らしかった。
とてもいい大会で走らせてもらった。

骨折した後、三浦雄一郎さんのエベレストへのトレーニングの話を聞き刺激を受けた。
足首に片足8kgの重りとバックパックに30kgを背負って歩くというトレーニングだ。
80歳なのにすごい!
負けてはおれん、と私も片足1kg、バックパックは背負わず、軽めに始めたのだが、それでもヘトヘトになって一日でやめてしまった。
三浦さんは元気すぎっ!真似したらあかん。

ケガをして3ヶ月もトレーニングをしないと体力はみるみる落ちる。
特に年をとってからのケガは……。
せっかくフルマラソンを完走できるまでに肉体改造したのに、元に戻ってしまった。
また一から出直しだ。

そうは言っても一時は寝たきりになるかも知れないと思った時期があるから、歩けるようになっただけでも上出来と言えるが、ムラムラとまた走りたくなった。

今回のマラソンではタイムは一切気にしなかったので時計をはめないで走った。
何時までにゴールしようとか何分のペースで走ろうとかも考えなかった。
試しに、ただひたすら左右の足を地面に交互に着地するだけ、気分はまるでスポーツジムのトレッドミルで走っているような感覚で走ってみた。
つまり、自分がゴールに向かって走っているのではなく、ゴールの方から自分に近づいてくるという感覚を味わってみようと思ったわけだ。
汽車の窓から景色を見ていると次から次へと景色が移り変わり、自分を通り過ぎていくように……。

この感覚は一昨年、東海道五十三次を歩いたときに体験した感覚だ。
目的地に何時までに到着しようと目標を立てて歩くと、とても疲れた。
そんなことを考えずに、ただひたすら歩くことだけを味わっていたら、あっという間に到着するという経験だ。

つまり手段の目的化だ。
目標タイムを達成するために走るのではなく、走ることそれ自体を目標にしてしまえばよいのだ。

私たちは“馬の鼻面に人参”のような人生を歩んでいるのかも知れない。
いい職業に就くためにいい大学に入り、いい大学に入るためにいい高校に入る、とか。
マイホームを買うために、いまは我慢とか。
現状に満足することはいつもお預け。
だから“いまこの瞬間”が空疎なのだ。

あれから30年 part-2

今月は私にとって税理士事務所を開業して、ちょうど30周年となる。
それがどうしたと言われればそれまでだが、私のような飽きっぽい人間がよくもまあ、こんな面倒くさい仕事を30年もやってきたものだと呆れる。
感慨深いとか、自分で自分を褒めてやりたいとか、そういう気分ではない。

税理士として開業する以前の私は勤務先の上司と喧嘩ばかりしていた。
その都度、辞表をたたきつけ、10回以上も転職を繰り返した。
転職するたびに勤務先のレベルは落ち、給料も落ちて貧乏になった。
欲求不満で私はいつもイライラしていた。

一人暮らしの安アパートに帰っても電気代未納で電気がつかない。
破れ窓から雨が降り込み、湿ったタタミからキノコが生えてきた。
やけくそでそのキノコをインスタントラーメンに放り込み食っちまったよ。
この時期、私は人生の敗残者の気分だった。
「このまま終わってたまるかっ!」
「お〜し、独立してこましたろ。トコトンいてこましたろ」
と本屋に飛び込み、どういう資格を取ると独立できるか金がなくても独立して食っていける資格は何だろうと探した。
その当時、税理士ならそろばん(古いなぁ)と電話さえあれば開業できると書いてあった。
「独立できるなら何でもええわ」ちゅうわけで税理士受験の勉強を始めた。
しかし、勉強しながら思ったのだが、じつにつまらん勉強だった。
特に簿記と会計学は退屈で仕方がなかった。
「こんなもん勉強したって糞の役にもたたんわっ!」とバカにしていたが、独立して金儲けできるようになれば面白くなるやろ、と思い、砂を噛むような思いでいやいや勉強した。
結論は金儲けに関係なく嫌いなものに手を出したらアカンちゅうこっちゃ。
表面上、仕事は順調に増えていったが、開業して2年も経たないうちに経理や会計の仕事を引き受けるのはやめた。
疲れたのだ。

私は両親が早死にした(オヤジが47歳、おふくろが38歳で亡くなった)ので自分は40代前半で死ぬと決めてかかっていた。

短い人生、気に食わない仕事はやるまい、マイホームも持つまい。
金儲けにうつつを抜かすまい。
行き当たりばったり、出たとこ勝負、破れかぶれ、その場しのぎ、成り行き任せ、無計画、ケセラセラ、を基本コンセプトに生きていこうと決めていた。
だから資産運用にはまったく感心がない。
資産と言えば私は普通預金しか知らない。
預金通帳も人任せなので見ない。

こんな私が資産をお持ちの方の相談に乗っているのだから世の中は分からない。

経理、会計の仕事をため息をつきながらやっているとき、たまたま相続税の申告の仕事が舞い込んできた。
それは私にとって運命の出会い、生まれて初めての相続税の申告の仕事だった。
面白くて完全にハマった。
徹夜してもまったく疲れない。
死んだ人間の財産を数えてどこが面白いのだ、と言われそうだが何度やっても飽きないのだ。
「お〜し、決まった!これで行こう」と思った。
相続税一本で食っていこうと決めた。

しかし、この決断はハッキリ言って、うかつだった。
いまでこそ皆さんのおかげで仕事は順調に入ってくるようになったが、その当時は相続税の申告の仕事なんてそう簡単に入って来なかった。
それからが大変だった。
仕事がなくて借金が増えるばかり。
よく我慢できたと思うよ。
それでも、うちのカミさんの貧乏に動じないほんわかムードに助けらた。
しっかり稼がんかいっ!と尻を叩くようなタイプのカミさんだったら私は40代前半で死んでいた。

あれから30年

何を隠そう私とカミさんの30周年の結婚記念日は5月1日だった。
独立と開業が同時だったので自分にとっては大事な日。
だからよく覚えている。
世の中には結婚記念日を忘れて嫁さんからひんしゅくを買う男がいるが、私は結婚記念日を一日たりとも忘れたことがない。
しかし、一度も祝ったことがない。
心の中ではいつも感謝はしているが態度で示せないのがワシら中高年なのだ。
すまん。
それにいつもはこの時期、断食道場に籠ってるし……。

私は一人暮らしが長かったし転職を繰り返していたので、とても寂しくとても貧乏だった。
結婚と独立開業のとき私は無一文だった。
しばらくの間、うちのカミさんの失業保険で食いつないでいたから今でも頭が上がらない。

結婚して家に帰ると電気が灯って夕飯が準備してあることが夢のようだった。
間もなく子供が生まれた。
親に似てとても可愛い息子だった。
「子供は三歳までに一生分の親孝行をする」というがそれは本当だと思った。

仕事はそこそこにして息子と遊ぶのが楽しかった。
独立開業した当時はバブル絶頂期へ突き進んでおり、上昇気流に乗りさえすればお金はかなり稼げたと思うが、仕事で頑張ろうとは思わなかった。
仕事より家庭だと思った。
今から思えばこれで正解だったと思う。

自宅に帰り、息子が「お帰りぃ〜!」と思いっきり体当たりしてくるのがたまらなく嬉しかった。
仕事のことも借金のことも忘れ、息子と遊ぶのが何よりだった。
仕事がなくて暇だったのも今から思えば幸運だった。

その息子が先日、結婚式を挙げた。
結婚式の費用は全部息子がもった。
いつの間に資金を貯めていたのだろう。
私のときは結婚式の費用など一銭も持っていなかったのに。

まだ息子が言葉も覚えない頃から、言い聞かせていたことがある。
「お父さんが死んだら、借金しか残っていないから相続放棄をするんだぞ」と。
だからうちの息子が最初に覚えた四文字熟語が「相続放棄」だった。
そのせいで親をアテにしないで生きていく覚悟が身に付いたのだろう。
私の深慮遠謀が実を結んだのだ。

今年もよろしくお願いします

「体の中には百人の名医がいる(ヒポクラテス)」という言葉は本当だと思う。

私の骨盤骨折は、治療らしい治療は何もしていない。
骨がくっつくのを待つだけだ。
「日にち薬」という言葉があるが、まさに時間が治してくれる。
つまり体の中の名医が治してくれるのだ。
痛み止めの薬を貰うには貰ったが2,3日飲んだだけで服用するのはやめた。
効いているのかいないのか分からなかったからだ。

腰の部分にコルセットをするように勧められたが、動いているとそのうちコルセットが腹のところまでずり上がってくるので腹巻きみたいになって気色悪い。
だから、これも付けなくなった。

骨は折れても、またくっつくのだ。
破骨細胞が骨を溶かし、骨芽細胞が新たに骨を作る。
これを繰り返し、2年半で骨はすべて入れ替わるらしい。
人間の意思は関係ない。
何も考えなくてもくっついてしまうのだ。すごいことだ。

医者に診察はしてもらうが、治すのは自分の体の自然治癒力だ。

私は昨年、何度もケガをして、その都度、回復してきたので、自然治癒力に絶大の信頼を置いている。
大ケガをしても必ず治ると信じきっているので、不安を感じることもない。
体の中の名医の邪魔をしなければよいのだ。

幸いにも座っているときの姿勢がいちばん楽なのが助かった。
私は家にこもって一日中、本を読んでいてもまったく苦にならない。
年末年始は読書三昧の時間を過ごして、たっぷり英気を養った。

てなわけで、今年もよろしくお願いします。

 

試練は続く

またまたやってしまった。
12月7日、寒波襲来のさなか御在所岳の頂上で凍結した路面で転倒した。
転んだ瞬間、目から火花が散り、あまりの痛さにあぶら汗が滲んだ。
う〜む、立ち上がれない。
これはただごとではない。
もうマラソンを走れる体には戻らないかも知れない、という思いが頭をよぎった。案の定、診断の結果は骨盤骨折だった。
マラソンをするようになって4回目のケガだ。
我ながら情けない思いでいっぱいだ。
高齢者が転倒してそのまま寝たきりになる話はよく聞くが、他人事ではない。
頭はしっかりしていても体の自由が利かないのは歯がゆい限りだ。

一昨年の左ふくらはぎの肉離れ、今年4月の腓骨神経麻痺。
7月のジョギング中に転倒して救急車で搬送されたときも 「ああ〜、これで終わりか」と思ったが、しぶとく回復していたのに……。

12月9日には奈良マラソンを走って復活するつもりだったが、残念無念!

いま、左右両側に松葉杖をついて歩いているのだが、これが意外に難しい。
私は松葉杖を使うのは自慢じゃないが、これで3回目だ。
松葉杖を使うのは見ていると簡単そうに見えるが、自分でやってみると難しいし、ものすごく疲れるのだ。

風呂に入るのもトイレに行くのも決死の覚悟だ。
特に階段の上り下りには恐怖を感じる。
健常者でいるうちは何も感じなかったが、階段には手すりが必要だし、段差も困る。

そもそもなぜ御在所岳に行ったかというと御在所岳の麓に片岡温泉という温泉があるのだが、うちのカミさんと二人で、その温泉に浸かりに行こうというのが発端だった。
片岡温泉はいまではアクアイグニスという複合温泉リゾート施設にリニューアルされた。
パティシエ辻口博啓とイタリアンシェフ奥田政行の有名シェフが店を構えるようになったので大賑わいだ。
土曜日、日曜日は混雑しているので金曜日に行こうとしたわけだ。
週休三日のおかげである。

片岡温泉はリニューアル前はひなびた温泉で湯の山温泉の陰に隠れて知る人も少なかったが、私たち夫婦は片岡温泉のファンだった。
ここの温泉に浸かると体の芯からポカポカして疲れがとれる、いい湯なのだ。

てなわけで片岡温泉に浸かってのんびりしておけばよかったものを御在所の頂上まで行ったのでえらい目に遭ってしまった。

今年はケガにつきまとわれた。
それも、もう再起不能かと思うようなケガを繰り返した。
これは何かの予兆だろうか?

幸せは不幸な顔をしてやってくる、と言うが、この度重なるケガは私に何を教えようとしているのだろうか。

ケガをしたときは、うちのカミさんがいつも付き添ってくれていた。
カミさんがいたからこそ、私は廃人にならずにすんでいる。
「そんなカミさんに感謝しろよ」という意味なんだろう。
本当はいくら感謝してもし足りないほど感謝しているのだが、口に出してこなかった。
すまん。
それと健康で普通の生活ができることが、いかに幸せなことかと思い知らされた一年だった。

iPad mini

iPad miniを買ってしまった。
アップルストアの店頭で手にしたら、あまりの軽さについ衝動買いしてしまった。これなら鞄に入れても重さを気にすることはない。
それにiPhone5でテザリングができるので、ihone5とiPad miniさえ持って出かければどこでもwifi環境で仕事ができる。
それに片手で持てる利便性は使ってみるとよく分かる。
これなら電車の中で電子書籍リーダーとしても使える。

icloudと同期すると、買ってすぐに今までのiPadやiphoneと同じ環境で使うことが出来る。
あっけないくらい簡単だ。
便利になり過ぎだ。

30年前、私が独立開業した頃は「儲かったら、いつかはコンピュータを使って仕事をしたいものだ」と思っていた。
コンピュータはまだ高嶺の花で、とても買うことは出来ないと諦めていたことを思い出す。

電卓や法令集・税務参考書などで鞄の中はいっぱいに膨れ上がり、重い鞄をヒィヒィ言いながら持ち運んで、お客さんの所へ通ったものだ。
だからキャンピングカーを改造して移動事務所を作ろうと吹上ホールにキャンピングカーの展示会に行ったことを思い出す。
それが今ではポケットの中にiPhoneと小さな鞄の中にiPad miniを入れておけば、それが即モバイル事務所だ。

試算表から決算書・申告書まですべて手書きでやっていた頃に戻りたくはないが、それでも手書きで苦労しながら決算書や申告書を書いたり、法令集をめくりながら税法の確認をしたりしていたときの方が頭や体に実力が染み込んでいたような気がする。
私の先輩たちはソロバンで計算していたのだ。
時代は変わった。
こういうのを「隔世の感」というのだろうな。

そのわりには納税者が税務署を怖がって尻込みする「お上意識」は以前とちっとも変わらない。

iPhone5

今まで使っていたiPhone4Sが故障したのでiPhone5に買い替えることにした。
うちのカミさんは「ホントに故障したのぉ〜?iPhone5を買うための口実じゃないのぉ〜?」と疑っておるが本当なのだ。
「いつものことじゃないか」。
apple製品は新製品が発売される時期になると旧製品が壊れる。
まるで自爆装置が組み込まれているのではないかと思ってしまうほど、ちょうどよいタイミングで壊れるのだよ。
「よぉ〜し、よぉ〜し、こうなったら買い替えるしかないわな」と素早く気持ちを切り替えるわけよ。

私はiPhoneは好きだが電話は嫌いだ。
かかってくるのもかけるのも嫌いである。
ケータイの番号はめった他人に教えることはないので、ほとんど電話がかかってくることはないが、たまにかかってくると「え、iPhoneって電話としても使えるのか」とびっくりする。
私は基本的にiPhoneでは、うちのカミさんとの連絡以外には電話とメールは使わない。

いつも肌身離さず身につけているのは電話とメール以外の機能を活用しているからだ。
「俺が死んだとき、あの世でもiPhoneを使いたいから、棺桶の中にiPhoneを入れてくれ」とカミさんに頼んでいるほど私はiPhone中毒だ。
こんなiPhone中毒の私だから、iPhoneが壊れて新品のiPhone5が来るまでの一ヶ月間(実は、昨日、手に入ったのだよ)どうしていたかというと、思いがけないことだがiPhoneがなくてもどうということはなかった。
多少不便を感じることはあっても何とかなる。
人生に必要なものは何もない。
手ぶらでも生きていける。
ということが分かった。
これで棺桶の中にiPhoneを入れてくれなくても「あの世」に行ける。

そうは言っても、手に入れたiPhone5はこれから徹底的に使い倒してこましたろ。暇つぶしには何よりの道具だ。
飽きることがない。
iPhone5とMacBookAirさえあれば他には何もいらない。
ニートもできる。

それにしてもこんなにも早く、猫も杓子もパソコンやケータイを持つ時代になるとは思わなかった。
パソコンやケータイを使えば仕事の能率は飛躍的に上がり、自分の時間が確保できるはずだ。
そうであれば週休三日や週休四日が当たり前にならなければおかしいのだ。
それなのに皆、忙しい忙しいと以前にも増して余裕がない。
おかしいと思わないか?

浮いた時間にまた仕事を入れてしまうから、いつまで経っても忙しさから抜け出せないのだ。
まるで“こまねずみ”じゃないか。
いったいいくら稼げば気がすむのだ!

眼を覚ませ!人間は仕事をするために生まれて来たのではないのだ。

ニートチェックシート

□ 1. 会社や学校に行くのがつらい
□ 2. 満員電車に耐えられない
□ 3. 朝起きるのが苦手だ
□ 4. 働かないことに後ろめたさはない
□ 5. 一人でいるのが好きだ
□ 6. インターネットが生活の一部だ
□ 7. お金をかけずに没頭できる趣味を持っている
□ 8. 貧乏はそれほど苦痛じゃない
□ 9. 汚い環境でも生きていける
□ 10. どこでも寝ることができる
□ 11. 体は丈夫だ
□ 12. 友だちがいなくても平気だ
□ 13. 世間のしきたりに興味がない
□ 14. ここ何年も親戚づきあいをしていない
□ 15. 2、3日食べなくても平気だ
□ 16. 働かざる者食うべからず、という言葉が嫌いだ

10個以上該当する場合はニートの素質あり。

pha著「ニートの歩き方」より。
私なりに一部アレンジしたチェックリストである。
ちなみに私の場合、上記の16項目すべてに該当する。

私は集団行動が苦手で協調性がなく組織に属することができない。
だから税理士会の会合も出席が義務づけられているのだが、億劫なので行ったことがない。
そのせいで警告書をもらった。
なにを隠そう、私の本性はニートである。
税理士になっていなかったら私はニートになっていたと思う。

世の中には社会的成功や金銭的に豊かになりたいという「あくせく・いらいら・がつがつ」の20世紀の価値観の「戦闘タイプ」人間と、「ゆったり・のんびり・ほどほど」の少欲知足、金や地位・名誉より自分の時間が欲しい、21世紀の価値観の「非戦闘タイプ」人間がいる。

私は「非戦闘タイプ」の人間だ。
だいたい向上心がない。
生きているだけで充分じゃないか、という気分で生きている「草食系税理士」だ。私が戦闘モードに入るのは税務署とやりあうときだけだ。
財産を守ることに疲れた人、節税対策で頭が混乱してしまった人は一度お越しいただくとすっきりした気分になると思う。

それにしても私みたいな者が、よくもまあ30年近くも税理士をやって来れたものだと我ながら感心する。
これも見捨てないでお付き合いしていただいている皆様のお陰だ。
考えてみれば「週休三日」とは週に四日も働いていることになるのだ。
私にしてはまじめにやっている方だ。

私のニート体質は息子たちにも、しっかり受け継がれた。
小さい頃から「群れるな、はぐれ鳥になれ!」と言い続けて来たのが効いたのか、長男はデザイン会社を辞め、いまでは一人で仕事をするフリーランスとなった。
どの組織にも属していない。
いずれは、ちゃんと独立するのかも知れないが、フリーランスとカタカナで格好つけても中身はニートと似たり寄ったりだ。

くそガキだった次男は次男で大道芸人をやっておる。
気が向いたらそこらの路上で芸をして稼ぐ完全無欠の自由人だ。
毎日楽しそうに芸に励んでいるようだ。
私はこの二人の息子たちの将来に何の不安も抱いていない。

ただ、ニート因子は遺伝するものだなぁ、という感慨に耽ることはある。

東京マラソン当選してまったがや。

東京マラソン事務局からメールが入った。
「東京マラソンに当選されました」との連絡だ。
実は私は東京マラソンにエントリーしていたことすら忘れていた。
私は東京マラソンのプレミアム会員として登録をしており、その特典として先行予約をしていたらしいのだ。
予約をするときは脳で考えずに脊髄反射して申し込んだので、すっかり忘れていた。
「あちゃ〜、当選してまったがや。」という心境だった。

左脚を故障してからは走るトレーニングをしていない。
だから脚力はすっかり衰えてしまって、フルマラソンを走れるような状態ではない。
しかし、人も羨む東京マラソンの当選の権利は譲渡不可となっているので誰かに譲るわけにもいかない。

ちゅうわけで「もう一度走ろう!走ってこましたろ。再起するのだ!このまま終わってたまるか!不死鳥のように復活したろやないか、俺はフェニックス!」
とアドレナリンを脳内に分泌させて、やる気満々で練習を開始した。

いつも走っていた山崎川沿いの桜並木の堤を走ることにした。
しかし、この再起を期した初日のトレーニングで脚がもつれて転倒してしまった。頑張りすぎた。
いっちょまえにラストスパートをかけたので、体が前のめりの状態で足がもつれ、顔面から転倒して、血だらけになった。
顔面制動だ。
この山崎川沿いの並木道は桜とともにウォーキングの名所だ。
歩いている人たちが大勢いる。
その人たちが心配して救急車を呼んでくれた。
自分では単に足がもつれて転んだだけの「ただの怪我」なのだが、この歳でジョギング中に転ぶと脳卒中か心筋梗塞ではないかと心配してくれ、立ち上がろうとすると「動かないで!動いちゃダメ!」と制止される。
それに大勢の人たちが周りに集まってきて、人だかりができて、恥ずかしくなってしまった。
いやはや「お騒がせして申し訳ない」。

救急車がサイレンを鳴らしてやって来た。
生まれて初めて救急車に乗って、名古屋市立大学病院へ搬送された。
「頼む!大げさにしないでくれ!俺は大丈夫なんだから」と言っても容赦してもらえない。
心電図とか血圧とか検査に次ぐ検査だ。

うちのカミさんもびっくりして飛んできたが、大したことはないので安心したらしく「少しは、おとなしくしててちょうだい」とあきれ顔だった。

しかしなぁ、つくづく思ったよ。
歳には勝てん。
無理をしたらあかん、と……。

怪我をした左脚がまだ完全に回復していないので左右のバランスが悪いのだ。
それより何より気持ちと体のバランスがとれておらんのだ。
もう若くはない、ということを脳が分かっとらん。
走っている最中に転ぶなんて歳を食った証拠だもんなぁ。

でも私はあきらめない。
また東京マラソンを走ろう、あの沿道の大勢の人たちの熱い声援のなかを走る感動をもう一度味わうのだ。

「やりますよ、ボクは。」

熊野古道を歩いてみました。

脚の怪我をして以来、マラソンのトレーニングはしていない。
走れないし、クソ暑い時期は走る気も起きない。
でも歩くことはできるので、どこかへ歩いて出かけたくなった。

ちゅうわけで、以前から気になっていた「熊野古道」を歩いてこましたろと思い立った。
そうだ!よみがえりの旅だ。
熊野の神々が俺を呼んでおる。
そう思った。
言っちゃぁ何だが、熊野は招かれた人が行く神聖なところだ。

ガイドブックを熟読し、トレッキングシューズを履いて何度か足慣らしもした。

7月の金曜日から三日間の熊野古道歩きと四日目は熊野三山(本宮大社、速玉大社、那智大社)を参詣することにした。
日本最大のパワースポットで霊気を浴びてよみがえってこましたろやないか、と思ったのだ。

熊野古道はいくつかのコースがある。
私が歩いたのは“中辺路(なかへち)”というポピュラーで最も古道の雰囲気を残しているといわれるコースだ。
大阪経由で紀伊田辺まで電車で行き、紀伊田辺から古道の起点となる滝尻までバスで行く。
いよいよ滝尻から熊野本宮大社までの熊野古道が始まるのだが、いきなり想定外の急坂が始まるので呆然となる。
「熊野古道をナメとったら、あかんど!こらぁ〜」と怒鳴られている気分だ。

「す、すんまへん。ナメとりました。堪忍しとくれやす」と恐縮しながら急坂を登ることになった。
行けども行けども険しい上り坂が続くのだ。
息はゼーゼー、心臓はバクバク、膝はガクガク、汗はダラダラ。
早くも「やめとこか」と弱気の虫が疼く。

こんなはずではなかった。
熊野古道なんてハイキングに毛の生えた程度だろうとタカをくくっていたのだ。
最初の急坂でピリリと気持ちが引き締まった。
「よ〜し!そっちがそう来るなら、やったろやないか!」と闘争心に火がついた。

この後もアップダウンの激しい道が続く。
熊野古道をハイキング程度と思ったら大間違い。
山行の心構えで行かないとリタイアもあり得る。
途中、街路灯はもちろん自販機もなければ何もない。
宿に着くまでに日が暮れるとお手上げだ。
とても夜道を歩けるものではない。
携帯電話も通じるとは限らない(特にソフトバンクはダメだ)。
道は一歩足を踏み外せば千尋の谷へ転落する。
蛇にも出くわすし、蜂やアブもまとわりついてくる。
スリルがあってワクワクする。

奥深い熊野の山の中を歩いていると霊気を感じる。
昔から熊野は浄土の地という。
思い切り汗をかくので体中から毒が出ていき、それと入れ替わりに熊野の霊気をからだ一杯に吸い込むのでよみがえっていく気分だ。
慣れてくると、とても愉快で爽快な気分になる。
「う〜む、これが“熊野詣で”か、だから上皇たちはここを何度も行幸したのか。分かるよ。これじゃ、ハマるわな」
特に後白河上皇は33回も行幸しているのだ。
よほどハマっていたのだな、彼は。
それとも政争に疲れた心も体も浄化したかったのだろうか?
諸君も人生に疲れたり人生をやり直したい、と感じたときは行ってみるといいよ。
お勧めだ。

私は一人で古道を歩いていたのだが、その間誰一人出会う人はいなかった。
猛暑のときに歩くバカはいないらしい。
途中で熱中症にかかれば私の望む“野垂れ死”だ。
でも熊野の濃厚な自然を独り占めにし、満喫し、とてもぜいたくな気分を味わって帰って来たよ。

私はこれでまた一歩仙人に近づいた。